//題名:ミッドウェー海戦(1) //著者:牧島貞一 //版情報:平成22年5月12日電子版初版発行 //発行人:宮部龍彦 //発行所:衆賢書房 〒252-0021 神奈川県座間市 緑ヶ丘6-1-23 102号 TEL/FAX 046-252-6301 http://atamaga.jp/shuken //情報:©1967 Teiichi Makishima **機動部隊旗艦、赤城 *真珠湾の主役出航す 「出港用意! 出港用意!」  艦内の拡声器が叫ぶ。運用科の兵隊がバタバタと、前甲板へ走っていく。錨《いかり》をあげるのだ。  ときは、昭和17年5月15日。  初夏の太陽は、緑の若葉に照りはえ、海を吹く風はさわやかに頬をなでた。 “目に青葉 山ほととぎす 初鰹《はつがつお》”と、句にあるごとくあかるい、ほがらかな5月の朝だった。  午前8時、航空母艦|赤城《あかぎ》は、横須賀軍港を出港した。新聞や、雑誌の口絵で、全国の小学生から、主婦や、おばあさんなどにまで親しまれ、日本海軍のホープとして知れわたっている、この航空母艦は、当時、日本機動部隊の旗艦だった。  開戦|劈頭《へきとう》、ハワイの真珠湾を攻撃して、アメリカ海軍の主力を一挙に撃滅し、つづいて、西方に鉾《ほこ》を転じて、蘭印《らんいん》(蘭領インド)作戦に協力し、オーストラリヤのポート・ダーウィンを空襲し、さらに西に進んで、インドの南端、セイロン島の攻撃まで、文字どおり、太平洋からインド洋までをまたにかけて荒しまわり、米英艦隊をして、顔色なからしめた日本機動部隊の旗艦は、この赤城であった。  青灰色に塗られた、4万2千トンの巨体。このグロテスクな鋼鉄の建造物には、司令長官|南雲《なぐも》忠一中将をはじめとして、参謀、飛行隊長から一水兵にいたるまで、ほとんど全員が真珠湾攻撃当時そのままの陣容だった。  この艦隊は、まるでうそのような話であるが、いまだに1発の砲弾も、1発の爆弾もくわず無きずであった。それほどに戦いは順調に勝利の連続をつづけていた。  海軍の“戦果”の過半数を独占していた、この艦の将兵の意気は、まさに「天をつく」ということばの通りであった。士官や兵隊たちの考えが「おれたちは戦えばかならず勝つのだ」という自信から「おれたちは、無敵なのだ」という自負心にまで、発展していったのも、いたって無理のないことだった。それほどに作戦は、とんとん拍子にいっていた。  インド洋のセイロン島爆撃を終わって、赤城が、母港横須賀に帰ったのが、4月22日。それから、25日間を兵員の休養と物資の補給とに費して、ふたたび、太平洋を荒しにいこうというわけだ。  今度、血祭にあげられるのは、ミッドウェー島だ。あのちっぽけな珊瑚礁《さんごしょう》を占領にいくのだ。そのために、赤城は、連合艦隊に合流すべく、瀬戸内海の秘密基地、柱島《はしらじま》に向かって出港したのだった。  駆逐艦3隻が護衛についてきた。大島の沖合にでたころ、艦上爆撃機が6機飛んできて、大きく艦の上空で左旋回を始めた。着艦するのだ。 「発着配置につけ。発着配置につけ」  艦内の拡声器が鳴る。兵隊はいっせいに自分の配置に走っていった。私は艦橋のうしろにある発着艦指揮所へのぼっていくと、もう飛行長|増田《ますだ》中佐はそこに立っていた。日に焼けたエビス顔をにこにこさせていたが、チョビひげと精悍な目が、この人の飛行科士官としての過去を語っていた。 「風に立ててください」  飛行長が艦橋に向かって叫んだ。  赤城は大きく旋回して、風に向かって走りだした。ぐんぐん速力を増していく。強い向かい風が、猛列な勢いで吹きつけてくる。軍艦旗が破けるようにはためく。速力計が20ノット、24ノットと増すにしたがって、風速計は10メートル、12メートルとあがっていった。  兵隊は服にいっぱい風を受けて、背中をまるく白い帆かけ船のように、ふくらませて走りまわっている。飛行甲板の一番さきから白い水蒸気が吹きだしてきた。その白い蒸気の流れが、はじめはななめに流れていたのが、艦が旋回するとともに、甲板の中央に描かれた白線と一致して、まっすぐに流れるようになった。母艦は風の方向に正確に、艦首を向けたのだ。そのまま一直線に速力を増していく。26ノット。風速毎秒16メートル。 「発着配置よろし!」  甲板上には、もう1人の兵隊もいない。整備員はみな、甲板の両側にあるポケットに入った。鋼鉄のワイヤーが何本も甲板を横切って張られてある。それが、ガーガー、ガチャンと音をたて、甲板上30センチぐらいの高さに、ピンと張られた。 「飛行機収容始め!」  飛行長が号令をかけると、マストの上にするすると信号旗があがった。編隊をといて、母艦の上を旋回していた艦爆(艦上爆撃機)は、フラップをだし、尾輪のすぐまえにフックをぶらりとおろして、艦の後方から一直線に、甲板めがけて進んでくる。1人の兵隊が眼鏡でこの飛行機をみていて、それを艦橋に大声で報告する。 「フックよろし」 「艦爆向かいました」 「近づきます」 「近づきます」  ぐっと速力を落とした艦爆は、高度をさげてふわりと甲板上におりた。5、6メートルも甲板上を滑走すると、もうフックが甲板上のワイヤーに引っかかった。  ガラガラガラ。大きな音をたて、ワイヤーを引っ張って滑走する。15、6メートルも滑走しないうちに、飛行機は停止してしまった。 「つきました」  さっきの兵隊が叫ぶ。  ガチャン、ガチャン、ガチャン。フックのかからなかったワイヤーは、いっせいに緊張をとかれて甲板上におろされた。1人の兵隊がポケットから走り出して、飛行機の尾輪のところへ走っていくと、すぐワイヤーを取りはずした。  ピリピリピリ。小さな白い旗を持った若い士官が、笛を吹いて搭乗員に合図をする。飛行機はエンジンをうならせながら静かに艦首のほうに滑走していく。もうそのときには整備員が飛び出して、飛行機の翼の両端をにぎって一緒に走っていった。ふたたびワイヤーが張られた。そしてつぎの飛行機を待つのだ。 「フックよろし」 「艦爆向かいました」 「近づきます」 「着きました」  をふたたびくりかえす。10分とかからないうちに、6機全部が着艦してしまった。さきの飛行機はもう翼をたたんでエレベーターのほうに押されていく。エレベーターに乗ると、チャンチャンチャンと大きなベルの音を残して、飛行機は格納庫のなかに入っていった。4機を格納庫におろすと、残りの2機は甲板の後方へ押されていった。これから2機ずつが、交代で飛びあがって潜水艦の警戒にあたるのだ。ふたたび、 「発着配置につけ」  拡声器が鳴る。艦は風に向かって一直線に走りだした。白い水蒸気の流れが甲板上を一直線に流れる。飛行長は、じっと風速計をみつめている。 「風速16メートル」  飛行機はもう、ごうごうとエンジンをうならせている。 「発着配置よろし!」 「発艦始め!」  飛行長が叫んだ。すると、すぐとなりに立っていた掌《しょう》飛行長(副飛行長の意味)が、ピリピリピリと笛を吹いて、手に持った白旗をふって飛行機のほうに合図をした。飛行機のまえには、赤と白の小旗を持った若い士官が立っていて、その合図を受けると、また、笛を吹いて、手に持っていた小旗を左右にふる。飛行機の車輪のところには、2人の整備員がしゃがんで、両方の車輪止めの3角形の木《チョーク》をおさえていたが、この合図を受けると、さっと車輪止めをはずす。  つづいて、若い士官は、白旗をふって、飛行機の搭乗員に「出発せよ」と命じた。飛行機は、エンジンを全開にして、甲板上を一直線に滑走を始めた。すぐ尾輪が浮いた。100メートルも滑走しないうちに、車輪は甲板を離れる。小さな潜水艦攻撃用の爆弾2個を両翼につけただけだから、軽々と離艦していった。つづいて、もう1機するすると離艦していった。  艦はふたたび旋回して、コースを西に向けた。2機の飛行機は駆逐艦の前方にでて、海上をぐるぐる旋回し始めた。 *従軍報道班員着任  暖かい晴れた日で、波も静かだった。4万トンの巨体は、微動だにしない。240メートルにおよぶ飛行甲板の上を歩いていると海の上にいるとは思われない。大きなグラウンドの上にいるようだ。  私がはじめて、この軍艦に乗り込んでから、もう2カ月になる。そのとき機動部隊は、セレベス島ケンダリー南方のスターリング湾に碇泊《ていはく》していた。そこで私は、この軍艦に乗艦して、インド洋のセイロン島爆撃にいったのであるが、はじめて、この軍艦に乗り込んできた当時の驚きを、私はいまでも、忘れることができない。  3月の上旬だった。  私は飛行機を3回乗りかえ、それから、ガソリンを積み込んだ、ちっぽけな油槽船に乗り込んで、このセレベス島のスターリング湾に入っていった。珊瑚礁のあいだをうねうねとまわって、狭い水道を入っていくと、なかは東京湾以上の大きな湾になっていたが、あたりは原始林でかこまれ、人家らしきものは、1つも見当たらなかった。  最初に、戦艦のマストがみえだした。つづいて、空母の艦橋や、巡洋艦のマストがみえてきた。さらに近づくと、20数隻の艦隊が全貌を現わしたが、私の乗る軍艦赤城の姿はどこにもみえなかった。  赤城の写真は、新聞や雑誌の口絵でよく知っていたが、ここには、見なれない形をした、アメリカの航空母艦と同じようなかっこうの母艦ばかりがならんでいた。  船長や、運転士にきいてみたが、「どうもいないらしい」との返事だった。  私は、えらいことになったわいと考えた。これからまた赤城のあとを追って、マレーかジャワへいかなくてはならないかと思うと、がっかりしてしまった。  油槽船は、巡洋艦の近くに投錨《とうびょう》した。ここに2隻ならんでいた巡洋艦は、いままでに全然みたこともない不思議な型の軍艦だった。2連装4砲塔、8門の主砲が全部前甲板に集まっていた。艦の後甲板は飛行甲板となって、飛行機がいっぱいに積まれていた。第二次世界大戦直前に、世界の建艦技術者のあいだで相当やかましい論議の的となっていた、いわゆる“航空巡洋艦”というやつじゃないか? 日本海軍は早くもこれを造っていたのかと驚いた。これが機動部隊と行動をともにしていた重巡の利根《とね》と筑摩《ちくま》の2隻であることはあとから知った。  内火艇《ないかてい》(エンジンのついた小型ボート)が1隻走ってきて、私の船に横づけになった。  すぐ1人の士官が、乗船してきたので、 「軍艦赤城はいますか」  私は、この士官にきいてみた。 「ああ、いますよ。一番遠くにいるあの大きなやつが赤城です」 「ほんとうですか、私たちが写真でみていたのとは、全然型がちがうじゃないですか」  士官は、にやりと笑って、 「娑婆へでている写真は、改装まえのものですよ」  なるほどそうだったのかと思って、私はほっとひと安心した。  この内火艇に乗せてもらって、私は赤城へと向かった。  遠くから眺めたときは、なかなかスマートな軍艦だと思ってみていたが、近づくにしたがって、しだいにゴツゴツとしたたくましさを増してきて、ポートが艦尾をまわるころには、まるでグロテスクな怪物としか思えない、青灰色の巨大な建築物となってしまった。  ボートは舷側にそって、艦首のほうへ走っていった。みあげると、はるか高いところに、高角砲と機関砲が、ところせまきまでにならんでいる。  ひらべったくおしつぶされた、ぶかっこうな煙突が、ぐっと曲げられて、その大きな口を海面に向けて開いていた。大工場の外を通るときによく聞く、ガンガンガンと響きわたる機械の音が、その煙突の下あたりから聞こえてきて、いいようのない圧迫感を起こさせた。  艦首に近く、水面から5、6メートルの高さのところに、4角な口が開いていて、そこからタラップがおろされていた。汽船の舷側にある荷物の、出入口のようなところだった。それがこの軍艦の舷門だった。  そこをのぼって、副直将校に来意をつげると、 「すぐ司令部副官のところへ案内しましょう」  といって、1人の兵隊が案内役に立った。長い廊下をくるくるまわって、いくつかの階段をのぼっていった。どこをどう通ったか、それが艦のいかなる位置にあたるのか、全然わからない。通路は、広くなったり、狭くなったり、また曲がったりしていた。そしてうす暗かった。どう考えても機械のびっしりつまった大工場のなかといった感じだった。ペンキと油のにおいがプンと鼻をついて、なんともやりきれない。 「司令部事務室」と書かれた部屋のまえにくると、案内の兵隊は、 「ちょっと待ってください」  といっておいてなかに入っていった。入れかわりに、海坊主のような頭をした大男がでてきた。 「なんだ!」  といきなり私に呼びかけた。みあげると少佐の肩章をつけていたので、この人が多分副官だろうと思って、私は大本営報道部から持ってきた書類をさしだすと、その男は、それを受け取って、なんともいわずにだまって部屋のなかに入ってしまった。  私は、廊下に立って待っていた。そばを防暑服という、半そで半ズボンの服装の兵隊が、忙しそうに通っていく。それがみんな、きまってすれちがいざまに、ギョロギョロ私をながめる。背広を着て、リュックサックを片手にさげている私が、なんともめずらしい、よその世界から飛びこんできた人間にみえるのであろう。  いつまで待っても、副官はでてこなかった。私はぼんやりして、まるではじめて上野駅のまえに立たされた|おのぼりさん[#傍点 ﹅]みたいに、落ち着きなく、あたりを見まわしていた。 「報道班員、副官がお呼びです」  1人の兵隊が、突然大きな声を出したので、私はびっくりしてしまった。 “無用の者入るべからず”と書いた、参謀事務室に入れといわれたので、気を入れて入室すると、なかには黄色い腕章をつけた参謀が、10人ばかり集まっていた。 「報道班員というのは、いったいなんだね」  さきにでてきた海坊主の少佐が、私に向かって発した第一声はこれであった。  私はここで、今度の大戦が始まって、海軍にも陸軍にも報道班というものができたことから、その組織、任務などを説明した。いろいろと質問がでたが、それを聞いていると、この人たちは報道班というものができたことを全然知らないのだった。彼らは戦争のことは知っていたが、それ以外の、国内の諸事情などというものには、まったく無関心というか全然知っていないらしい。 「なるほどね、報道班とはそんなものか。だが、この軍艦には、部外者はいっさい乗せないことになっているよ」  と海坊主の少佐がいった。 「そうですか。でも私は、海軍に徴用されて、ちゃんと軍属という肩書を持っているのだから、部外者ではないはずです」 「しかしね。この艦の行動は、極秘中の極秘なんだ。だから君なんか乗ってきても、発表できるような『種《たね》』はないと思うがね」 「もちろん現在のことは発表できませんよ。でも作戦が終れば発表できるでしょう。それでいいんですよ」 「しかし、この書類をみると、10名近くもくることになっているが、こんなにたくさんは収容できんぞ」  私は、書類をみせてもらった。そのなかには、作家、画家、新聞記者等々の名まえがずらりと書きつらねてあり、私の名まえは最後に書かれていた。私は思わずふきだしてしまった。 「ああこの連中ですか、こりゃだめです。船に乗ってくるんだから、あと1カ月もたたなくては着きません」 「すると、この連中は君にだし抜かれたわけか──そうか、君1人だけだったら、なんとかしてやろう」  と海坊主の少佐がいった。この人が副官であった。  私はようよう乗艦を許されると、へやを1つあてがわれた。入口に“分隊長室”と書かれていた。なんだか階段をいくつも降りて、パイプがいっぱいに通った廊下の曲り角のところのへやだった。丸窓が1つついていたので、そとを見ると、水面が手のとどきそうなところにきていた。そこは蒸されるように暑いへやだった。  艦長に会ってあいさつをした。これは副官以上にぶあいそうな男だった。副長は病気で休んでいるとのことで、代理に運用長だという少佐が、いろいろ世話をやいてくれた。この人は信州弁まるだしで、大きな声を出して、忙しそうにつぎつぎと命令をしていた。 「飯は士官室で食ってください。夕食のときに、みんなに紹介してやるから」 「それから、ええと、そのかっこうじゃ暑くてしょうがねえだろう。オイッ、従兵。きょうからなあ、報道班員が1人、士官室に入るから食事の用意をしておけ。それから、下のへやを掃除して、毛布と枕を用意しておけ。それからなあ、防暑服を1着借りてこい」  運用長はことばは乱暴だが、なかなか親切ないい男だった。  軍艦の夕食はばかに早い。すぐ夕食になった。士官室と書かれた大きなへやに入ると、士官が50人くらいも集まっていた。そこで私は、運用長によって、みんなに紹介された。食事は実にうまかった。  よくみると、参謀は1人もこの室にいなかった。へんだと思ってきいてみると、この軍艦には、この士官室のほかに、司令部の参謀ばかりがいるへやと、若い中尉や少尉ばかりいる「第1士官次室」というのと、特務士官ばかりいる“第2士官次室”と“准士官室”、そのほかに艦長と司令官は1人ずつ特別の“艦長室”と“長官室”とを持っているとのことだった。1つの軍艦のなかに、こんなにたくさんの士官室があるとは思わなかった。こんな狭苦しい軍艦のなかを、なにも、そんなに区切ってしまわなくてもよさそうなものだ──とくに艦長も、司令官もそれぞれ特別室を持っているとは、まったく驚きだった。 *海の要塞赤城の艦内  夕食後、甲板士官の芝山中尉という、22、3歳の大学生みたいな感じの若い士官が、私を案内して艦内をみせてくれた。 「ここが格納庫です」  といわれたへやは、艦首から艦尾までぶっ通しの、がらんとした、広い長いへやだった。床の鉄板が、一面に油でぎらぎら光っていた。 「飛行機はどうしたのですか、1機もいないじゃないですか」 「いまは陸上基地へいっています。そうそうに帰ってきますが、そうすると、このなかにいっぱいに詰まってしまいます」  突然、チャンチャン、チャンチャンと大きなベルの音がしたかと思うと、天井にポッカリと10メートル四方もある大きな穴が開いて、青空が見えた。 「あれがエレベーターです。飛行機を甲板に出したり、入れたりするのです」  大きなものだ。ちょっとエレベーターという感じがしなかった。床がそのまま上下するといったほうがいいくらいだった。  鉄のタラップをのぼって甲板へでてみた。広いものだ。まるで運動場だ。はるか前方に1台の飛行機が止まっていて、整備員が立ち働いていた。小さな艦橋が、すみのほうにチョコナンとついていた。 「こりゃー広い、100メートル競走ができますね」 「いや200メートル競走をしても、まだ余裕しゃくしゃくですよ」  と甲板士官は得意そうに答えた。  甲板の両側に一段と低いところがあって、そこに高角砲や、高角機銃がずらりとならんでいた。そのそばに、細長い箱みたいなものがついていた。 「これはなんに使うのです」 「ポケットと呼ぶのです。飛行機が飛びだすときに、整備員が逃げ込むところです」  そのポケットとポケットのあいだに網が張ってあった。 「甲板を踏みはずした兵隊が、海に落ちないためです」  と教えてくれた。タラップをおりて艦尾のほうへ歩いていくと、カチンカチンとハンマーの音がするへやがあった。 「ここは鍛冶工場です」  兵隊がはだかになってハンマーをふり上げていた。本式の鞴《ふいご》が備えつけられて、鉄が真っ赤に焼けていた。町の鍛冶屋の5、6倍もある大きな工場だった。  そのとなりが旋盤工場で、いろいろな工作機械が、やかましい音をたててまわっていた。これだけみていると、軍艦のなかとはどうしても思えない。どこかの軍需工場へでも入ったような感じだった。  新しい木の香りのする場所へきた。なにをやっているのかとみれば、ここは木工場だった。机だとか、椅子だとかを兵隊が器用な手つきで作っていた。  となりのへやでは、兵隊が時計の修理をしていた。 「ほう、時計工場ですか」 「いや、計器工場です。もちろん時計もなおしますが、飛行機の計器の修理をやるのが、おもな仕事です」  ごうごうと、発動機のうなりがするところへきた。ドアーを開けてみると、発動機工場だった。新しく組み立てられた発動機が、試運転台の上に乗せられて、回転をしていた。あちらのすみでは、油で真っ黒になった兵隊が、エンジンの分解をやっていた。シリンダーがはずされ、ふとい短いピストンがでてきた。 「これは驚いた。まるで大小さまざまな工場が集まった、工場街じゃないですか」  甲板士官は、にこにこと笑って、 「この軍艦にはなんでもありますよ。このほかに郵便局、理髪室、洗濯工場、兵隊の大好きなラムネを作るところも、それから病室、歯科医療室などもね──」 「まるで1つの町みたいですね」 「ええ、たいていのものは自給自足で、みな作ってしまうのですよ。ただ生産できないものは、女だけでね」  甲板士官は、声をあげて笑ってみせた。 「報道班員、それよりもみちに迷わないようにしてくださいよ。たいていの人は艦の通路を覚えるのに10日以上かかるのです。まいごになっては困りますよ。とくに本艦は、はじめ巡洋戦艦として造ったのを、軍縮会議の結果、航空母艦に改造したのです。それからまた、改装に改装を重ねたので、通路なんか曲ったのや、いきどまりになったのがあります。報道班員の居室なぞは、改装前は石炭庫だったんですぜ。それが改装によって、機関は重油を燃《もや》すことになったので、居住区になったのです」 「そうですか、バカに暑いへやですよ」 「暑いはずですよ、あの隣りは機関室ですから──そうだ、出港したら機関室をみせてもらいなさい。機関科の士官に案内させましょう」  3日目に出港すると、すぐ1人の士官が、機関室へ案内してくれた。 「手袋をはめてくださいよ。タラップが握れないと困るから」  といって作業手袋をかしてくれた。 「なぜ握れないんです」 「熱くて握れないんだよ」  そんなに熱いのか、と思ってちょっとしりごみしたが、まあなにごとも経験だ、どんなところかみてやれ、と思ってついていった。  鉄の扉を開けると、もう|むっ[#傍点 ﹅]と息のつまるような熱風が頬をうった。  ごうごうと、耳を聾《ろう》するうなり声が下のほうから聞こえてきた。油でギラギラ光るタラップをおりていった。足をすべらせそうで、気が気ではない。  また1つ扉がある。それを開いてつぎのへやに入っていくと、さらに熱い。ここを通過すると、つぎがかま室である。タラップの鉄棒が焼けているのが、手袋を通じて熱く感ずる。これじゃ手袋なしでは入れないわけだ──私は1人でうなずきながら、おりていった。  ゴウゴウゴウとものすごい連続音で、そこでは話ができない。  大きなボイラーのまえで、全身、汗でぬれねずみになった兵隊が、忙しそうに働いていた。  案内の士官が、耳もとに口をつけて説明してくれた。  熱風が、うなりをたてて、ボイラーの中に吸いこまれていく。そこには重油が、白熱の炎をあげて燃えていた。 「重油はね、吹き出すまえに、熱せられて、気体になって吹きだすのです」  あまりに、明るすぎて、目が痛い。 「これならよくみえる」  と、濃紫色のガラス板を貸してくれた。電気熔接の職工が使うのと同じやつだった。私はそれを目にあててなかを見た。細いノズルのさきから吹きだされる重油が、美しい炎となって燃焼しているのが見えた。 「熱いですね、何度くらいですか」 「摂氏40度から、熱くなると50度くらいにまでなります」 「お風呂のなかより暑いじゃないですか」 「このなかで4時間交代で働くのですよ」  私は入ってから10分もたたないのに、もう汗で、服がぐしょぐしょになっていた。30分も入っていたらぶっ倒れてしまう、と思った。 「この熱さのなかでよく働けますね。なにかいい対策はないんですか」 「ありますよ。あるにはあるが、本艦は古いから、ご覧のごときありさまです」  みていると兵隊たちは、おたがいに、じつに不思議なかっこうに手をふっていた。 「あれはなにをしているのですか」  と私は案内の士官の耳に口をあてて、大きな声を出した。 「やかましくて、このように、耳に口をあてないと、話ができないでしょう。兵隊はツンボと同じ状態なのです、だからああして手をいろいろに動かして、あれで話をしているのです」  海のなかから、はいあがってきたように、汗でぬれた兵隊たちが、妙なかっこうに手をふりあっていた。目ばかり光らせて、人間らしい顔をしているものは1人もいない。巨大な鋼鉄の怪物に、圧倒された、小さな妖精の群のようだった。  科学は、新しい型の奴隷をたくさん作ったが、ここの兵隊などは、その代表的なものだと思って、私はじっとながめていた。 「さあ、今度はタービン室へいきましょう」  といわれて、ハッとわれにかえると、私はつぎのへやへ入った。  ここは、鑵室《かんしつ》からでてきた、蒸気のパイプが一面に、うねうねとはいまわっていた。大きなタービンがへやの中央を占領して、それがゴウゴウとうなりをたてていた。 “指揮所”というのがある。そこに入ってみると、いろいろな計器がいっぱいにならんでいた。艦橋からの命令は、直接ここにくる。そして、ここから、全部の機関室に伝達されるようになっている。1つ1つの機械の状態が全部計器によって、一目でわかるようになっていた。  つぎは電気室だった。大きな配電板が、部屋の中央を占領していた。小さな豆電球がいっぱいついていて、艦内の電気の状態が一目でみられるようになっていた。  となりは、発電機室だった。発電機がいくつもならんでいた。小型発電所の感じで、このへやも、じつに暑かった。  いざ戦闘開始となると、機関科の兵隊も、士官も、全員この、暑いへやに入って、扉を固くしめてしまうのだ。戦争の状況など、全然わからない。ただ、艦橋からの命令どおりに、黙々として、機械を運転していくだけだ。  不幸にして、軍艦が沈没するような場合は、まず助かるみこみはない。甲板にいる兵隊は、泳ぐことができるが、機関科の兵隊は、それすらできないだろう。  飛行機や、大砲が、戦争をする10時間もまえから、ここではもう、熱と、忍耐力との戦いが始まっているのだ。そして、甲板では戦いが終ってしまってからもなお10時間も、20時間も、戦いがつづいていくのだ。まったくたいへんなところだ。私は驚いてしまった。汗でぐっしょり服をぬらして、だまって、甲板へあがってきた。  熱いと思っていた甲板も、あの機関室にくらべれば、天国だった。陽に焼けた元気な顔をした兵隊が忙しそうに走りまわっている。それに比較して、なんと、機関室の兵隊たちの顔色の悪いことか──。 「どうだった」  ちゃんと折り目の正しい、洗濯したばかりの服を着た機関長|反保《たんぼ》中佐が、私に向かって問いかけた。 「よくあれで病人がでないですね」 「うん、滅多にでないよ。とくに戦争になってからは、でなくなった。みんな、緊張してやっているのだ」  機関長は、得意そうにひげをひねった。 「そういいながら、機関室には、特殊な病気があるよ。熱射病というのだ」 「熱射病ですって?」 「そうだ、熱射病だ。日射病ではないよ。あの熱気のなかで働いていると、急に体温が40度くらいにあがってしまって、ぶっ倒れる兵隊がある。そして熱がなかなかさがらない」 「それで死なないんですか」 「ほっておいたら死ぬよ。それで甲板へかつぎあげてね。海水をホースでジャージャーとかけて冷やすんだよ。そうすると、またもと通りに体温が36、7度にさがるのだ──なんでも体温の調節をするところが、脳のなかにあるそうだが、そこが故障を起こすのだそうだよ」 「なんとか、もう少し温度をさげる方法はないものですか、指揮所と配電室はまあいいですが、他のへやは全部、熱地獄ですね」 「戦力を100パーセントに発揮するためには、兵隊の居住性のほうは、ある程度犠牲にせねばならんね。人間は訓練によって、なんでもできるようになるよ──」  機関長は厳然といいはなった。考えようによってはむちゃな話だ。  私は、若い学校をでたばかりの軍医中尉をつかまえて、この軍艦には、どんな病気が一番多いかをきいてみた。 「そりゃ結核が一番多いですよ、つぎが赤痢ですね。赤城の赤痢といえば有名なものですよ。なにしろ飛行甲板という大きな屋根をしょっていて、全然日光が当たらんですからね」 「どの兵隊が一番病気になりますか」 「機関科が一番多いです。つぎは工作科や、電信、主計等の艦内にばかり入っている兵隊です。そこへいくと、飛行機や、砲術関係の兵隊は、そとへでているからいいですね」 「赤痢はなぜ多いのですか」 「日光の当たらない暗いへやが多いからですよ。いくら消毒をやかましくやらせても、一度発生すると、たちまち猛烈な勢いで伝染しますからね」  私は、その伝染病の温床となっているといわれた、兵隊の居住区をみに、1人で歩いていった。私のへやから艦尾のほうにあたって、大きいのや、小さいのが、たくさんあった。ま四角なのは、1つもなかった。たいていのへやは、細長かったり、いっぽうだけが、バカに広くて片ほうがつまったり、まんなかに、大きな機械が、陣取っていたりした。大きな長いテーブルがあって、その足が折りたたみができるようになったのがあった。それが、食卓であり、書きものをする机であり、夜になると、その上に毛布を敷いて寝る寝台の役もするのだった。暑いことと空気の悪いこととは、まさに申し分がないほどに、悪かった。夜になると廊下にまでハンモックをつって寝るのだ。整備兵なぞはほとんど、居住区で眠らなかった。上の格納庫に入って、飛行機の下に寝ていた。とくにひどいのは、右舷の煙突の口が海面に向かって開いているところがら後方の居住区だった。煙突から吐きだされる煙と、一酸化炭素で、ムッとするほどくさかった。 「どこも人間の住めるへやじゃないですよ──人殺し長屋と呼んでいるのです」  と古参の兵隊が教えてくれた。 「1時間も、このへやに入っていてごらんなさい、たちまち頭が痛くなってしまうから。それにね──この艦には、艦を作ったときから1度も空気がかわったことのないへやだって、ありますよ」  要するに、航空母艦というやつは、高速力を出すための、ばかでかい機関と、格納庫と、大小の砲とで、艦の大部分を占領されてしまっていて、人間は、そのすきまにごちゃごちゃと、おし込まれているのだった。  私が一番困ったのは、甲板士官に注意されたとおり、みちに迷って、艦内をうろうろしなくてはならないことだった。私はできるだけ、艦内をよくみておこうと思って、朝から晩まで艦内をウロウロと歩きまわったが、だいたいの通路を覚えてしまうのに1週間かかった。 *空母7思議  ある晩、ガンルームの士官たちが「遊びにこい」というので、いってみると、酒を飲んでいた。みな22、3歳から7、8歳ぐらいまでの、若い中尉と少尉ばかりだったから、たいへんなにぎやかさだった。杉山主計中尉、内田機関少尉、本山中尉といった人たちに紹介されたが、とても1人1人の名まえはおぼえられなかった。 「ねえ、報道班員、航空母艦7不思議というやつを知っているかい」  酔って、真っ赤な顔をした甲板士官が、私に話しかけた。 「知りませんね、ぜひ教えてください」 「ただでは教えられないね」 「ビール1ダースではどうです」  ワーッ! とみんな喜んで歓声をあげた。 「では教えよう。第1は艦橋だ。艦橋というやつは軍艦の中央に、どっかりと腰をすえているものだ。ところが母艦の艦橋は、これでも艦橋かと思われるような小さなやつが、甲板のすみにちょこなんとついている。  第2はマストだ。マストはどの船でもまっすぐに、空に向かって立っているものと相場が決まっているが、母艦ではマストは横に立っている。いや寝ているのだ。  第3は煙突だ。煙突は口を下に向けて、煙を海に向かって吐きおろす。これが飛行機が着艦するときになると海水と煙を一緒に吐くだろう。あれはポンプで海水を煙突のなかに導いて海水の雨を降らせるのだ。すると水滴が煙の粒子を吸収してしまって、煙がでなくなるというわけさ。遠くからみていると、煙突から滝が落ちているようにみえるだろう。着艦する飛行機の視界をよくするための窮余の一策さ。  そのつぎはエレベーターさ。馬鹿でかいもので人間なら2、300人はゆうゆうと乗れるよ。しかしこれは人間用のではない。飛行機がお乗りになるのだ。人間が乗ってくると、艦橋からどなられることになっている。  第5は飛行甲板さ。母艦というやつは、飛行甲板の|おばけ[#傍点 ﹅]だ。これも人間用のものにあらず。しかも横にふといワイヤーが張ってあって、うっかりこれに引っ掛かって倒れでもしようものなら、目から火がでるほどしかられる。  第6は、格納庫だ。|ずんべらぼう[#傍点 ﹅]の長い格納庫が、軍艦の上部を全部占領してしまって、しかも、これが2階建てときているだろう。最後はね、母艦は前後がわからないんだぜ。少し離れてみると、母艦はまるで四角な箱が浮いているようなもので、どちらに向いて走っているのか、てんで見当がつかないのだ」 「なるほどねえ……」  と私は感心した。  若い士官たちは「どうだ」といわんばかりに私をみつめて得意そうに笑った。 「まだあるぞ、あるぞ。赤城と加賀にだけはまだ1つあるぞ!」  と、目の玉のバカに大きな中尉が叫んだ。 「なんですか? それは……」 「本艦の艦尾のほうに20センチの大砲が8門ついているだろう。あれがたいへんなしろものなんだ。あいつをぶっぱなすとね、爆風で、飛行甲板がめくれあがってしまってね、飛行機が飛べなくなってしまうのだ。だから1発も射ったことのないというやつさ」 「いわゆる、無用の長物というものの代表的なやつなんだ」  私は、士官たちの名まえをおぼえるのに困ってしまった。軍艦内では、兵隊も士官も、ほとんど名まえを呼ばなかった。艦長、副長、機関長、航海長とか、分隊士、航海士とか全部職名を呼びすてにしていた。  だから、主計とか軍医とかの、数の少ない士官は肩章《けんしょう》の色ですぐわかったが、兵科の士官は数が非常に多いうえに、砲術科も、航海科も、飛行科も、運用科も全部同じ黒色の肩章だから、区別がつかなかった。とくに、飛行科などは、分隊長だけで、7、8名もいたから、だれが、だれだか、さっぱりわからなくて困った。参謀は、参謀肩章のかわりに、細い黄色の腕章をつけていたので、すぐ区別がついたが、これが、何科の参謀か、航空か、航海か、砲術かはさっぱりわからなかった。この参謀だけでも10人近くもいた。  そこで私は、1人へやに帰って考えた。なにかうまい手はないかと、いろいろ考えたすえに、1人1人にあだ名をつけて覚えてやろうと思った。このほうが第一ユーモアもあるし、各人の名まえを覚えるのに早いと思った。するとすぐさま、10名くらいの名まえはおぼえてしまった。  飛行隊の総隊長|淵田《ふちだ》中佐。この人は、ハワイ空襲部隊の総隊長だ。第一印象がヒットラーに似ていた。チョビひげと目が似ていたからだ。だから、これは──ヒットラー。  雷撃隊の隊長|村田《むらた》少佐。これはエノケンにそっくりだったから、文句なしに──エノケン。  運用長|土橋《どばし》少佐。肩をゆすって、のしのし歩きながら信州弁まるだしだ──山賊。  戦闘機分隊長|白根《しらね》大尉。この人は非常な美男子だったが、青白い顔をしていた──ウラナリ。  急降下爆撃隊長|千早《ちはや》大尉──べートーヴェン。  同分隊長|山田《やまだ》中尉。士官たちはこの人の本名|昌平《しょうへい》をもじってショッペーと呼んでいた。いかにもショッペーといった感じだったが、第一印象にしたがって──ノッポ。  雷撃隊分隊長|布留川《ふるかわ》大尉。この人も非常な美男子だった。笑うと口もとが女みたいな感じがした──高杉早苗。  甲板士官|芝山《しばやま》中尉──大学生。  こうつけてみて、私は思わず1人でふきだしてしまった。われながらできがいい。  司令部副官|西林《にしばやし》中佐──海坊主。  先任参謀|大石《おおいし》大佐──株屋。  参謀長|草鹿《くさか》少将──西郷隆盛。  司令長官|南雲《なぐも》中将──むく犬。 **柱島錨地 *発着配置よろし  私は、甲板のソファーに腰をかけて、海をながめていた。空はあくまで晴れわたり、黒潮は、日光をいっぱいにあびて、きらきら光る。  チャンチャンチャンチャン  大きなベルの音がする。目を転ずると、艦爆がエレベーターに乗って、格納庫からあがってきた。整備員がそれを押して艦尾のほうへいくと、つづいてまた1機あがってきた。2台の飛行機は、甲板の後部で機首をそろえると、エンジンをまわし始めた。さきの飛行機と交代するらしい。 「発着配置につけ」  艦は風に向かってコースを変えた。ぐんぐん速力をだす。風速16メートル。ビュービューと強い風が甲板上を吹きまくる。 「発着配置よろし」 「発艦始め」  艦爆は、エンジンをうならせて出発していった。対潜警戒を終えて帰ってきた飛行機は、もう、フックをおろし、フラップをだして、軍艦の上空を旋回していた。 「飛行機収容始め」 「フックよろし」 「艦爆近づきます、近づきます」  速力を落としておりて来た艦爆は、ふわりと甲板上に車輪をつけたが、今度はフックがなかなかワイヤーにかからない、1本、2本、3本、4本と、ワイヤーを乗り越えて滑走してくる。  アッ! と思ったが、ようやく5本目のワイヤーにガチャンとかかってとまった。整備員がフックをはずそうとしてまごまごしているあいだに、つぎの1機がもう艦尾へ近づいてきた。危い! と思っていると、 「おい赤旗!」  飛行長が叫んだ。大きな赤旗が発着指揮所でふられた。つづいて艦尾でも赤旗がふられた。これをみた飛行機は、エンジンをうならせて高度をあげながら、甲板の上を飛び過ぎていった。そして大きく左に旋回して、ふたたび艦尾に近づいてきた。それまでには、もうさきに着艦した飛行機は、フックをはずして艦首へ走っていっていたので、今度は無事におりられた。 「着艦終り。別れ!」  赤城は、ふたたび艦首を西に向けて走りだした。1日に4回これをくり返すのだった。  翌日の午後、はるかに四国と、九州の山々がみえ始めると、ふたたび、 「発着配置につけ」  拡声器が叫んだ。飛行甲板には、対潜警戒にきていた艦上爆撃機が全部ならべられていた。 「飛行長。艦爆を全部飛ばせてしまうのですか」  私はきいてみた。 「ああ、全部飛ばせてしまうんだ。狭い海峡を通過してしまえば、もう必要がないから、艦爆はあと1時間も警戒すれば、陸上基地へ着陸さ」 「そして今夜は、レス(海軍では料理屋すなわち、レストラントのことをレスと呼んでいた)行きですか?」 「まあ、そうだ」  飛行長増田中佐は、陽に焼けたエビス顔をほころばせて答えた。そして、ひとりごとみたいに、 「船乗りというやつは、陸《おか》に上ると、酒をのんで、女を買って、ドンチャン騒ぎをやらんと気がすまないんだね。飛行機乗りも同じだ。だから航空母艦の搭乗員は、その両方をかねているんだから、一番ひどいなァ」  といいながら、若かりしころの女|でいり[#傍点 ﹅]のことでも追想しているのか、1人でニヤニヤ笑っていた。 「発着配置よろし!」  掌《しょう》飛行長の特務少尉が、大きな声を出すと、ハッとわれにかえったような顔をした飛行長は、 「よし! 発艦始め!」  といっておいて、無造作につぎつぎと飛びあがっていく艦爆を眺めていたが、それが終わると、 「発艦終わり。別れ!」  といって、さっさとタラップをおりていった。  このあたりは、アメリカ潜水艦の出没が一番多いところなので、赤城はジグザグコースをとりながら、海峡へ入っていった。四国と九州の山々が、手に取るように見える。  飛行機は、ぐるぐると赤城の前方を旋回している。突然、  ガーン! と大きなショックが艦底からしてきたので、びっくりした。 「爆雷|威嚇《いかく》投射!」  と見張りの兵隊が叫んだ。見ると、前方を走っている駆逐艦の船尾にあたって、真っ白な水煙がむくむくと小山のように盛りあがっていた。  しばらくすると、右側を走っていた駆逐艦も爆雷を投じた。つづいて、左側の駆逐艦も投じた。  3発の爆雷で、アメリカの潜水艦を驚かせておいて、無事に豊後水道を通過してしまった。  そして、瀬戸内海の、名も知らぬ島陰に投錨《とうびょう》した。今夜はここに1泊するのだそうだ。  |段々《だんだん》畑《ばたけ》の麦が、目のさめるように青かった。農家が、ポツンと1軒立っていた。平和そのもののようなこの小島を見ていると、いま、国をあげての戦争をやっているのだとは、どうしても思えなかった。1匹のウシが、軍艦のほうに向いてモオーとないた。  人をバカにしたなきかただった。 *行儀の悪い観艦式  翌朝、そこを出航した。 「あー武蔵《むさし》だ、武蔵だ」  兵隊たちが騒ぎだした。戦艦武蔵が、はじめてわれわれの視界に入ってきた。 「なんとまあ、グロテスクな艦だね」 「6万8千トンもあるとよ」  水兵たちは、めずらしそうに甲板に出て、この小山のような怪物を眺めていた。話によると、46センチ砲が9門、速力は28ノット、文字どおり世界一の巨艦だ。 「あんなのに出あったら、世界中のどの戦艦もたまらないね。自分の大砲がまだとどかないうちに沈められちまう」 「バカいえ! あんなもの、いくら大きな大砲を持っていたって、飛行機にあってみろ、1ぺんにブクブクさ。あんなもの造るくらいなら、母艦を造ったほうがいいぞ」  2人の兵隊が口論を始めたので、よく見ると、1人は砲術科の兵隊で、反対論をとなえたのは整備兵だった。  戦艦か航空母艦かの議論は、もうだいぶまえから日本海軍の指導者のあいだでたたかわされてきている問題だった。それがこの兵隊たちのなかでさえもたたかわされているのだ。しかし、この問題はもう解決した。開戦以来の海軍の戦果は、ほとんど飛行機によってなされたのだ。戦艦はもはや、艦隊の主力ではなくなってしまったのだ。  武蔵も大和も、もう1年早くできあがっていたら、あの兵隊に悪口をいわれずにすんだのに──と思いながら、私は巨艦を眺めていた。1万トン級巡洋艦によく似た前甲板は、おそろしく長くのびて、なかなかスマートだったが、後甲板はこれと反対に短かくて高く、まるで箱みたいなかっこうだった。煙突は1本でやや後方に傾いていた。マストがなくて、2本の細い鉄柱が後部のマストの立つべき位置のところから、木の枝のように突きだしているだけだった。これが、ますます、この船をグロテスクなものにしていた。3連装の砲塔が前部に2つ、後部に1つあった。これが46センチの巨砲とはちょっと思えなかった。  そこへ、また不思議な航空母艦が1隻走ってきた。アメリカの母艦のように、煙突がチャンと立っていたが、その煙突のさきのほうが外側に向かって、チョッと曲がっていた。 「なんだい、あの船は、冠《かんむり》をかぶって走っているぜ」  1人の兵隊が叫んだ。みんなドッとふきだしてしまった。そのかっこうは、いかにもおかしなものだった。神主の冠のようなものが、飛行甲板の上に乗っかっているとしか思えなかった。 「新しくできた隼鷹《じゅんよう》というやつですよ」  と甲板士官が教えてくれた。 「日本も、とうとう煙突を上に向けましたね」 「ええ、本艦のように下に曲げておくと、煙突から吐きだす一酸化炭素で、艦尾の兵隊は死ぬほど苦しめられますからね」 「とうとうアメリカの空母と同じになったじゃないですか」 「軍艦の居住性を重大視してきた結果ですよ」  2隻とも、最近完成して試運転をしているところだった。  緑の小島が、点々と浮かんでいるのが見えはじめた。日本画そっくりの、美しい小島が、つぎつぎと現われた。 「ああ、大和《やまと》のマストが見える」  兵隊の指さす方角を見ると、島のあいだからかすかに、高い戦艦の艦橋が見えた。近づくにしたがって、その海面は大小の軍艦でいっぱいにうずめられていた。そこが柱島《はしらじま》だった。  柱島は、山口県岩国市のすぐ東南方にあたるところの小さな島だったが、付近一帯はたくさんの島に囲まれて、陸地からは全然見られない絶好の港を形造っていた。  山本|五十六《いそろく》大将は、開戦以来ずっとこの泊地にあって、海底電線によって直接、東京の大本営と連絡をして、全海軍を指揮していた。  赤城は、昼すぎこの泊地に入って、大和の近くに投錨した。  そこにはもう、加賀《かが》、飛竜《ひりゅう》、蒼竜《そうりゅう》などの空母や、戦艦|比叡《ひえい》、霧島《きりしま》、金剛《こんごう》、榛名《はるな》、扶桑《ふそう》、山城《やましろ》、日向《ひゅうが》などが、旗艦大和を囲むようにして碇泊していた。さらにその外側には、ひよろ長い1万トン級巡洋艦や、3本煙突の古風な2等巡洋艦や、輸送船、工作艦、それから数えきれないほどの駆逐艦が海上いっぱいにひろがって、さながらお行儀の悪い観艦式だった。  ただ、最新式の空母|翔鶴《しょうかく》の姿が見えないのが、ちょっとさびしかった。翔鶴は、5月7、8日の珊瑚海《さんごかい》海戦で大損害を受けて、呉に入港して修理中だった。それから、珊瑚海で沈没したのは、改装空母の祥鳳《しょうほう》であることを初めて知った。 *翔鶴被爆の戦訓  軍用長が、修理中の翔鶴を見に、定期便のランチに乗って呉までいってきた。 「いやはや翔鶴のやつ、手荒くやられたぞ。艦首と艦尾と、艦橋のうしろに3発くらってさ」  と、運用長土橋豪実中佐は大きな声を出して、彼がスケッチしてきた見取図を示しながら説明をはじめた。 「ここんところは、このくれえこわれてさ、ここは、こんなふうに、めくれあがっちゃって……」  見ると艦首はめちゃめちゃになって、飛行甲板までまくれあがっていた。艦尾は大したこともないようだが、後部機銃と、飛行甲板はだいぶやられていた。艦橋のうしろの飛行甲板も相当に破壊されていた。 「アメリカの飛行機は、40機くらいずつが、2回にわたって攻撃してきたそうだよ。魚雷はここをスレスレに通るし、いやはや危ねえものよ。たった3発しか当たらなかったちゅうことはウソみてえさ」  運用長は口をトガらして信州弁まる出しでしゃべっていた。みんな、だまって聞いていた。 「とにかく、大火災にならなくて無事に帰れたのは、飛行機を全部飛ばしちゃって、格納庫のなかに1機もおらなんだのが良かったんだ。もし飛行機がいっぱいつまっとったら、ガソリンに引火して、とても助からなかっただろうとみんないっとったよ。……それから前部の軽油庫が燃えたにゃア困ったそうだ。なかなか消えなくてね。……後部の内火艇《ないかてい》にも火がついてね、こいつのガソリンを抜いておくのを忘れとったものだから、これにも火がついちゃって困ったといっとった」 「敵の爆弾は、どんなやつを使ったんでしょうか?」  若い士官が質問した。 「それがさ、瞬発《しゅんぱつ》信管で、当たるとすぐ爆発したそうだよ。それに、焼夷《しょうい》材が入っていたらしく、ものすごくよく火がついたそうだ」 「延期信管でなくてよかったですね」 「これがさ、機関室までズブズブとつきぬけていって、ドカンとやられたんじゃ、翔鶴もオダブツだったろうね」  と楽天家の軍医長が口をはさんだ。 「そうだとも、なにしろ艦の上部だけがやられて、機関室はなんともなかったからこそ助かったんだ。速力は35ノット出たっちゅうことだ」 「敵もつまらん爆弾を使ったものだ」 「つまるやつを使われたんじゃたいへんですよ」 「修理はどのくらいかかるといっていました?」 「なんでも半年くらいかかるっちゅうことだ」  運用長は艦長の命を受けて、軍艦の乗組員全部に、翔鶴の戦闘と防火の実際を話すのだといっていた。  これは面白いぞ──と思って、その日の午後、私も聞きにいった。拡声器のまえに立って、運用長は片手に書類を持ちながら話しだしたが、拡声器がガーガーガーガーと雑音ばかりだして、よく聞きとれなかった。それを我慢して聞こうと耳を澄ますと、今度は内火艇が大きな音を立てて下を通った。飛行機が低空で飛んできた。よく聞こえないものだから、兵隊までががやがやした。ますます聞こえない。もっとまえのほうへ出て聞こうと思ったが、兵隊がいっぱいでいかれなかった。とうとう私は途中で引きあげてしまった。 「あんな話を聞くといやだね。なんだか今度はわれわれもやられるんじゃないか、と思ってね」  兵隊が、4、5人で話していた。 「なにをいうか。第一、アメリカにはもう航空母艦がないんだぞ、それに真珠湾にも敵艦隊はいないそうだ。こっちの1人舞台よ」 「そうすると、またわれわれは戦争見物というわけか」 「戦争するのは搭乗員ばかしよ」 *飛行機隊収容  赤城は、機動部隊の旗艦であるから、朝から晩まで、数えきれぬほど、内火艇が着いた。そのたびに、大勢の参謀や、士官が、出たり入ったりしていた。  みんな、はりきって元気だった。いかにも忙しそうだった。兵隊も、つぎからつぎへとでてくる命令で、てんてこまいしていた。  それから数日間、赤城は瀬戸内海の伊予《いよ》灘《なだ》を走りまわって、新しい搭乗員の着艦訓練をやった。 「きょうは危いから、用事のないものは絶対に飛行甲板に顔をだしてはいけない」  と、副長から注意がでていたので、私は艦橋の一番高いところへあがって、見物していた。  たいていのものは、なかなか上手に着艦していたが、なかには、全然着艦できないものもいた。低く降りてくるが、甲板上、5、6メートルのところまできても車輪が甲板につかない。ひどいのは、甲板の上まで飛行機を一直線に飛ばしてこられなくて、ふらふらと横にそれてしまう。ある1機は、甲板に車輪がついたかと思うと、大きくハウンドして、海に落ちてしまった。搭乗員は泳いで駆逐艦に救助されたが、飛行機はそのまま沈んでしまった。 「ああ、あいつも落第だ。基地行きだ」  と飛行長増田中佐にいわれた搭乗員は、もう絶対に、空母には乗れないのだ。陸上基地へまわされてしまうのだった。4、5人に1人くらいの割合で落第生がでた。それが終わると、いよいよ戦争にいく正規の搭乗員と、飛行機の収容をはじめた。今度は熟練したものばかりだったから、つぎからつぎと連続して着艦してくる。見ていると、戦闘機が、非常に多かった。格納庫に入りきれなくて、甲板にまで、はみだしていた。 「ずいぶん欲ばったものですね」というと、「あれはミッドウェー島の飛行場に持っていくやつです」と教えられた。  その夜、赤城は別府湾に碇泊して、大分《おおいた》航空隊から引きあげてくる整備兵を乗艦させた。艦内は急に、にぎやかになった。ミッドウェー島を占領すると、すぐこの基地航空隊の司令になる予定の森田大佐や飛行隊長まで、乗り込んできたから、士官室は、たいへんな息苦しさだ。例によって、トランプが2組も3組もはじまった。将棋《しょうぎ》や、碁《ご》もはじまった。 「おい、従兵、煙草くれ」 「おい従兵、ビール」 「おい、羊羹《ようかん》」 「おい、ラムネ」  従兵は忙しくて、てんてこまいをしていた。  翌日、赤城はふたたび柱島へ帰った。きょうは、大和で作戦会議が開かれるという。それが終わると、赤城でまた機動部隊としての作戦会議だそうだ。顔も知らない参謀や士官が、おおぜい士官室に出たり入ったりしていた。  副長鈴木中佐は、軍艦のぬりかえを命じた。 「新しい作戦にでるのだから、お化粧して、きれいにしていこうと思ってね」  といって笑っていた。兵隊は総動員された。直接手のはなせない仕事についているもの以外は、全部ペンキ屋と早変わりして、朝から大さわぎをしてぬりはじめた。  千名以上の兵隊が、まる2日間かかって、約15トンのペンキを使って、この巨大な軍艦をぬりあげた。  赤城は艦長が変わって、青木大佐となっていた。前の艦長とは比較にならないほど、いい人だった。
──ミッドウェー海戦①おわり②につづく
#著者紹介:牧島《まきしま》 貞一《ていいち》  明治38年長野県に生まる。中学卒業後、上京して洋画を学ぶ。その後写真・映画に転向、同盟通信映画部を経て日本映画社勤務。盧溝橋、上海、南京など、海軍航空隊の中国爆撃に従軍。太平洋戦争中はセイロン、ミッドウェー、ソロモン海戦などに従軍。  昭和61年没。